色々な視点・聴点

(左から右へ)ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第23番 嬰へ短調 Op.57「熱情」第3楽章の4つの演奏:クラウディオ・アラウ、ダニエル・バレンボイム、グレン・グールド、ラン・ラン

今日は、演奏中に自分の音をどのように聴くかとその重要性についてお話したいと思います。

以前アレキサンダーさんとお話した際、興味深いことを知りました。「歌手は聴衆が聴くのとは全く違う音を耳にしている」というのです。自身の公演中、その歌手には自分の体を通してピアニストよりもっとダイレクトに自分の歌声が聴こえているはずですが、パフォーマンスではやはり「客観性」が大事なのです。

私は、演奏において常に「客観性があること」を目標の一つにしています。私の理解と感動のすべてを、できる限り正確に、そして最大限に伝えたいからです。

演奏しながら、物理的にそこに座って弾いている演奏者の位置からの視点・聴点で音を聴くことはもちろん、体がそこにあるわけではないですが、お客様の視点・聴点も同時に確認しているのです。ピアノからの直接音とその反射音、吸収されて消えてしまう響き…自分の理解や感動のすべてが最大限に表現できているか確認するように耳を使っています。

演奏に没頭しながら、同時に客観的な視点を保つことは難しいことですが、私にとってそれは非常に有益で、欠かせないことなのです。その音楽から受け取った偉大なすべてを、共有したいと思っています。作品の核心となるメッセージや、感動の内容や根拠を明確にし、作品の最も本質的な部分を伝えるよう努力します。それがお聴きくださる皆さんの心に響くと信じているからです。作品の核心には、普遍的で、そして人間そのものに深く根ざした何かがあり、すべての人にとって感動的で意味のあるものになると確信しているのです。

一方、ピアニストによって核心の理解や表現がそれぞれ異なるのも面白いことです。るで、同じ絵画を10人が見て、それぞれが自分の視点から違った部分に注目しているかのようです。

私たちは皆、同じ冗談に笑うわけではありませんが、「笑う」という行為自体は共通しています。食べ物の好みは様々ですが、「食べる」ことは共通していますし、みんなが同じ時間に寝るわけではありませんが、「寝る」もすべての人にとって共通に不可欠です。

私にとって、演奏の真の目的は、私の表現をそのまま感じていただくことではありません。私の演奏をきっかけにして、それぞれの心にそれぞれの感動や気づきが起こることです。

この点をより明確にするために、今回の記事では、ベートーヴェンのソナタ第23番嬰ハ短調「熱情」の第3楽章を4人のピアニストが演奏した4つの録音を取り上げました。同じ曲を演奏しているにもかかわらず、それぞれのピアニストが強調している点は違っています。

コメント欄で、どの演奏が一番心に響いたのか、そしてその理由をぜひ教えてくださいね。

ありがとうございます。

 

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コンサートホールの「直接音」と「反射音」