ファニー・メンデルスゾーンに関する興味深い事実

ここ数ヶ月間、私はファニー・メンデルスゾーンの『一年(Das Jahr)』に深く取り組み、作曲家としての彼女について多くのことを学びました。しかし今日は、一人の人間としての彼女について発見したことを皆さんにお話ししたいと思います。ここでご紹介する興味深い事実は、音楽史における女性の役割を研究することに情熱を注ぐ作家・研究者、エミリー・E・ホグスタッド(Emily E. Hogstad)氏によるものです。

1. ファニーの母レアは、彼女が生まれたその日から、ファニーがピアニストになる運命にあると確信していました。そして、生まれたばかりの娘の手を「バッハのフーガを弾くための指」だと喜びを込めて表現したのです。レア自身も鍵盤楽器奏者であり、バッハの弟子の指導を受けていた人物でしたが、娘に関する彼女の直感はまさにその通りでした。1819年、14歳になったファニーは、父への誕生日プレゼントとして『平均律クラヴィーア曲集』を暗譜で演奏しました。

2. 同じくらい素晴らしい音楽的才能に恵まれていた姉弟でしたが、男子であるフェリックスの方がファニーよりも手厚くその成長を期待されていました。ファニーが14歳、フェリックスが10歳の時、叔母がパリから二人へ贈り物をしました。ファニーにはスコットランドの宝石をあしらったネックレスが、フェリックスには最初のオペラを作曲するための筆記用具が贈られたのです。父はファニーに対し、「音楽はおそらく彼の職業となるだろうが、お前にとってそれはあくまで『飾り』であり、そうあるべきものだ。決して、お前の存在や行動の根幹をなすものであってはならない」という有名な言葉を書き送っています。

3. 1821年の初め、ファニーはヴィルヘルム・ヘンゼルという画家と恋に落ちました。年齢差(彼女は16歳、彼は27歳)があったため、家族はこの結婚を認めることに難色を示しました。それから7年後、ヘンゼルはようやくプロポーズの許可を得ることができました。興味深いことに、彼は結婚の条件として、ファニーが音楽を「無制限に練習すること」を明確に求めたのです。

来週も、ファニー・メンデルスゾーンに関するさらなるエピソードをご紹介できるのを楽しみにしています。

 
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ファニー・メンデルスゾーン『一年』より「9月」