オーブリー・ビアズリー
左から右へ:トマス・マロリー著『アーサー王の死』にオーブリー・ビアズリーが描いた挿絵:表紙;湖畔のエクスカリバー;マーク王とディナダン卿がパロミデス卿2世に聞いた話;湖の貴婦人がアーサーに剣エクスカリバーのことを告げる。
近、オーブリー・ビアズリーの絵に深く感銘を受け、その経験から生まれた考えをお伝えしたいと思います。
日々のささやかな楽しみとして、私は毎朝読書を楽しんでいるのですが、今日はたまたま自宅の書斎の奥に静かに眠っていた、サー・トマス・マロリー著、井村 君江訳 『アーサー王物語』(Le Morte d’Arthur)を手に取りました。
ファンタジーの世界を旅するのはいつでも楽しいものですが、今回私を本当に魅了したのはオーブリー・ビアズリーが描いた挿絵でした。もちろん、その並外れた精密さにすぐに魅了されましたが、挿絵を見ていくうちに、あることに気づいたのです。
彼の作品の多くでは、背景は力強い垂直と水平のまっすぐな線で構成されているのに対し、前景の人物は驚くほど柔らかく流れるような曲線で描かれています。背景が直線的で厳格であるからこそ、曲線の美しさがより鮮やかで表現豊かになるようです。
このことが、私を突き動かしました。
現在、私はバッハとベートーヴェンを練習中です。彼らの音楽においても、背景と前景の関係性は、リズム・ハーモニー・そしてメロディーなどを通して明確に描き分けられています。
例えばメロディーを際立たせ、他の音は抑える、あるいはバッハのフーガのように、主題を際立たせ、内声部を静かにする、といった単純なことだけで簡単に「描き分け」を済ますこともできます。でも、際立たせるべきではない部分を単に「背景」として扱い、音量を弱く演奏するだけでは不十分であり、誤解を招く可能性もあると改めて気づきました。
最も重要なメロディーを大きくし、他の部分をそれよりも静かに演奏するのは簡単ですが、作曲家は、ビアズリーが用いたのと同じレベルの綿密な計算をもって、すべての音符、フレーズ、リズムを配置したに違いないことをよく考えねばなりません。すべての要素が、主旋律をさらに美しく、意味深いものにするために「そこにそれがないといけない」という理由でその場所に存在しているのです。すべては計算されて配置された必要かつ重要な要素です。
音楽的に、どの要素がビアズリーの「直線」に対応し、どの要素が「曲線」に対応しているのかを分析することは、有益かもしれません。でも、この考えをさらに一歩進めると、もちろん決定的な違いがあります。ビアズリーのデッサンが平面上に留まっているのに対し、音楽は三次元的で常に動き続けています。
楽曲の中で「背景/直線」と「前景/曲線」として機能するものを理解し構築すれば、ルバートや音色の変化といった手法を用いて、これらのコントラストを強調することができます。感情の強弱によって形作られるルバート、フェルマータのタイミング、記憶から聞こえてくるような音色、ガラスのように澄み切った明るい音など、これらはすべて可能性です。
これはすべての作曲家に当てはまりますが、おそらくバッハには特に当てはまると思います。彼の音楽は、ビアズリーの「直線」のように、並外れた厳密さで計算されており、すべての声部は、全体の構造の中での役割という観点から、十分に分析され、理解されなければなりません。しかし、その構造がしっかりと確立された後、ある種の「曲線」として表現力豊かなルバートを加えたらどうなるでしょうか?ビアズリーの「直線」が人物の柔らかさを際立たせたように、表現の柔軟性は音楽表現をさらに豊かにします。
ビアズリーのデッサンにおいて、背景の直線的で規律のある線が人物の曲線の柔らかさをより鮮やかに際立たせているように、バッハの音楽における構造的な精密さと表現の柔軟性の対比こそが、聴き手の感情をより深く揺さぶるのかもしれません。この「対比」こそが、私たちを最も深く感動させる力を持っていると私は信じています。
結局のところ、私たちが最も伝えたいことを明確にし、「すべての音が意味を持つ」という作曲家の意図を分析し、楽曲の構造を丁寧に構築することが不可欠です。そして、その上で初めて、それをどのように高め、照らし出すことができるかを考えるのです。
最近、ビアズリーの『サロメ』の挿絵をオンラインで調べましたが、そのドラマチックで美しい描写に心を打たれました。図書館に本があるはずなので、ぜひ探しに行きたいと思っています。
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