繊細なバランス:ピアノの前でも、ピアノから離れても(2025年6月12日)
左から右へ:朝食のライチ、練習前のタミーノへの挨拶、思いやりのある聞き手、詩人ロバート・ブラウニング
アーティストを目指す私の人生は、決して楽でも単純でもありません。毎日、どのように時間を過ごすか、そしてキャリアという目標を次のステップに進めるために何が必要かという選択を迫られるのです。
どんなレパートリーを学ぶべきでしょうか?
テクニックでは、どの側面をより磨けば良いでしょうか?
練習が足りているといえるでしょうか?
練習しすぎているといえるでしょうか?
キャリアを築くために色々な努力をしていますが、それらが十分に成果につながっているのか、そして同じくらい重要なことですが、これらすべてが、感情的、精神的、肉体的、そして心理的に、どれほどの負担を私にかけているのでしょうか?
これらは決して簡単に答えられる質問ではありませんが、ほぼ毎日自問自答し、答えを出さなければなりません。
今朝は、ライチを朝ごはんとしていただいた後、自宅の電子ピアノで基礎練習をして、コズモ先生のアパートへ向かいました。いつものように、先生は親切にエスプレッソをいれてくださって、それをいただきながら、ピアニストのオンとオフについて話し合いました。
私は、ピアノ以外に、ショッピング、メイク、ファッション、絵画鑑賞、オペラやオーケストラ鑑賞、読書に没頭することなど、たくさんのことを楽しんでいます。でも、時々、ピアノの練習時間をこんなに減らしてしまっていいのかと不安になります。
コズモ先生に相談したところ、とても明解に答えをくださいました。「上達するには練習するしかないですね。ただし、音楽家の生活には繊細なバランスが必要ですよ。」と。
完璧を目指すのではなく、常に、そして絶えず向上し続けることを決意しなければならないということを私は再確認しました。あらゆるリハーサル、あらゆる演奏、あらゆる練習は、前回よりも向上する機会を生み出します。なぜなら、その過程を通して、人は人生や周囲の環境から常に学び、日々の影響によって人間として変化していくからです。
しかし、ピアニストにとって日々の生活を送るということは、そこから得た教訓を鍵盤に持ち帰り、作品への理解と解釈を深めることを意味します。人生への意識と、学んだことを音楽に反映させたいという欲求のバランスを取ることが重要です。
ピアノから離れている時間も、ピアノのことを自然と意識しています。だから、私が色々なことをして、そこからたくさんの教訓を得ますが、そのすべてがピアノにかえっていきます。ピアノの練習時間とピアノを離れた時間のバランスは、人生の教訓が音楽に反映させたいと思えるものであるときに達成されます。
完璧さを求めるのではないのですね。多種多様な人生経験を通してより良い自分になる機会をどんどん生み出し、それらの経験をピアノで活かします。新たな気づき、新鮮な視点、広がる精神、そして幅広い発想で演奏することができます。
「人の手は手の届く範囲を超えなければならない。そうでなければ、天国は何のためにあるのか?」とロバート・ブラウニングは言いました。
私もピアノを弾いている時も、弾いていない時も、常に自分の手を広げようと努力しながら生きています。