曲の舞台 ― イタリア・エステ荘

左から右へ:エステ荘の噴水 ― ネプチューンの噴水、ロメッタの噴水、百の噴水、楕円の噴水

リストが「エステ荘の噴水」という名曲を生み出すきっかけとなった、イタリアの世界遺産・エステ荘の噴水群について考えてみました。

エステ荘の建設と設計には、多くの著名人や名家が関わっていましたが、中でも有名なのが枢機卿イッポリート・デステです。彼はフェラーラ公アルフォンソ・デステの次男であり、母はルクレツィア・ボルジアでした。ボルジア家は14世紀にまでさかのぼる名門で、芸術の大パトロンであり、ルネサンス期の人文主義の学者としても知られていました。

エステ荘の土地は1550年から所有されていましたが、実際の建設が始まったのは1560年7月のことでした。この年、敷地拡張に伴い、家屋や公共施設、道路の取り壊しが行われました。噴き上がる水柱や流れゆく水路、段をなして流れ落ちる滝、そして巧みに仕組まれた水の仕掛け(water games)など、精密な水のシステムを実現するため、近くを流れるアニエーネ川の流れを変える必要があったのです。

エステ荘自体も見事な建築ですが、今日最も高く評価されているのは、庭園の噴水群です。51の噴水とニンファエウム(古代ローマやギリシャで水の精ニンフを祀る聖域)、398の噴出口、364のジェット噴水、64の滝、220の水盤、そして全長875メートルにおよぶ水路、そしてカスケードによって成り立っています。しかも、これらすべてがポンプを一切使わず、重力のみで作動しているのです。

宗教、歴史、建築、工学、そして幻想的な要素までもが融合するこの場所が、リストの創作意欲を掻き立てたのも納得ですね。

エステ荘を舞台とする作品はいくつかあります。また、水をテーマにした楽曲としては、ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「沈める寺」なども有名ですが、この壮麗な庭園を音楽で讃えた作曲家として、リストはいまもなお唯一無二の存在であり続けています。

 

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