フランツ・ヨーゼフ・ハイドン――音楽と人物像

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732—1809)

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンといえば、古典派音楽の礎を築いた偉大な作曲家というイメージが一般的でしょう。しかし、その音楽の背後にいる「人間」としての姿も大変魅力的です。彼は美しい歌声を持ち、素晴らしいユーモアのセンスを備え、思いがけないところに喜びを見出すことのできる人物でした。1732年、オーストリアの小さな村ローラウに生まれたハイドンの父は、木製の車輪を作る職人であり、両親のどちらもプロの音楽家ではありませんでした。それでも音楽は家族の生活の一部であり、父は歌を歌ったり、ハープを弾いて伴奏したりすることを楽しんでいました。幼い頃のハイドンは、非常に美しく澄んだソプラノの歌声を持っており、その才能からウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊に招かれました。また、ヴァイオリンや鍵盤楽器の演奏も学びました。非常に質素な環境から音楽の道を歩み始めた子どもが、やがて歴史上最も影響力のある作曲家の一人となったなんて、驚きです。偉大さとは「どこから出発するか」ではなく、「与えられた機会をどう活かすか」にかかっているのですね。

交響曲第96番「奇跡」にまつわるエピソードはとても魅力的です。演奏中にシャンデリアが落下したものの、奇跡的に誰も怪我をしなかった…。この出来事から「奇跡」という愛称がつくことになりました。歴史家によれば、このシャンデリア落下事件は、ロンドンで行われたハイドンの別の交響曲の演奏会で起きたことのようですが、私はこの話がとても好きです。なぜなら、音楽には楽譜に記された音符を超えた「命」が宿っていることを教えてくれるからです。一つの楽曲が、特別な瞬間や思い出、あるいは歴史の一片と結びつくことがある…。ロンドンで活躍した長い期間において、彼の交響曲は現地の聴衆から熱烈に歓迎されました。ロンドンでの成功は、国境を越えて人々を結びつけることが音楽にはできると証明しました。私にとって、これこそが音楽家であることの最も美しい側面の一つです。私たちは普段、部屋で一人きりで練習しているかもしれませんが、やがてその音楽は、自分とは全く異なる人生や経験を持つ人々と結びつけてくれるのです。ハイドンの持つユーモアのセンスは、彼をとりわけ魅力的な人物にしている要素の一つです。彼はいたずらを好むような茶目っ気のある性格で、そうした一面がしばしば作品にも表れています。「驚愕」という通称で知られる有名な交響曲第94番では、穏やかで静かな旋律の途中で突然、オーケストラが大きな和音を鳴らします。これには、音楽にすっかり身を委ねてくつろいでいた聴衆も、思わず驚かされてしまいます。また、「冗談」という愛称で呼ばれることもある弦楽四重奏曲変ホ長調(Op.33-2)では、意図的な「間」や、まるで曲が終わったかのように思わせる仕掛けを駆使して、聴き手の予想をあえて裏切ってみせます。知性とユーモアは両立し得るものだと理解している作曲家には、何とも素晴らしいものがあると感じます。ハイドンは、音楽が深遠であるために、必ずしも厳粛でなければならないわけではないことを知っていました。時には、驚きをもたらす瞬間が、悲しみをもたらす瞬間と同じくらい、私たちに多くのことを教えてくれることもあるのです。

ハイドンの人生において最も感銘を受けるのは、彼の成功が、規律正しさ、困難に立ち向かう強さ、そして音楽に対する変わらぬ愛情の賜物であるという点です。少年時代の美しい歌声が変声期を迎えて失われたとき、彼は聖歌隊員として留まることはできなくなり、音楽の世界で自らの道を切り拓かなければなりませんでした。彼は教えることや演奏活動で生計を立てながら作曲を学び、やがて「パパ・ハイドン」という親しみを込めた愛称で呼ばれるほどの卓越した技術を身につけていきました。その後、エステルハージ家に約30年もの間仕え、自身の指揮下にある音楽家たちのために、交響曲や弦楽四重奏曲、オペラなど数多くの作品を作曲しました。彼はこの立場を制約と捉えるのではなく、実験し、学び、成長するための好機として活かしたのです。

ハイドンの生涯は、たとえ状況が当初の思い通りに進まなかったとしても、可能性に対して心を開き続けることの重要性を教えてくれます。自分に降りかかる出来事を常にコントロールできるとは限りませんが、それに対してどう向き合うか、私たちは自ら選ぶことができるのです。また彼の遺したものは、芸術に真摯に取り組むからといって、ユーモアや驚きを感じる心を失う必要はないのだと気づかせてくれます。むしろ、音楽を深く探求すればするほど、私たちは音楽に対して感謝すべき理由をより多く見出し、そして、より大きな喜びを他の人々と分かち合えるようになるはずです。

 
次へ
次へ

ヨハネス・ブラームスの多面性